春うらら〜♪らららら〜ん♪
日本の皆様は、桜を満喫されてる頃でしょう
青空を背景に焦げ茶の枝に桜が咲き誇る姿は
美しい。
いつ見ても、美しい。
桜満開の姿を初めて見たら、さぞかし興奮するんだろうな〜
一目惚れで腰砕け〜(笑)
そこで、今日はある女性の美しさに魅了され
姿を変えたプレイボーイならぬプレイゴッド!?(笑)
そのプレイゴッドとはギリシャ神話でお馴染みの
神ゼウス★
「レダと白鳥」
神ゼウスったら、愛人が多いこと(笑)
彼は、人妻レダの美しさに魅了され
レダ欲しさから神ゼウスは白鳥に変身し
更に女神アフロディーナには鷹に変身させ
自分(白鳥)を襲わせるように命じた
白鳥が鷹に襲われていると思った
レダは白鳥を助け、白鳥の美しさに
誘惑されてしまい、心も体も奪われ
子供を授かったという神話です。
このリングに神話を表現したのが
並外れた才能を持ち
フレンチジュエリー史にその名を刻んだ
Louis Wiese
ルイ ヴィエーズ
彼の手にかかった作品には
命のような強いパワーを感じます
それでは、ご説明です
◆19世紀後期◆
《レダと白鳥》
あまりのレダの美しさに魅了され
神ゼウスは、白鳥に変身し
レダを誘惑した。
このギリシャ神話に伝わる
「レダと白鳥」を
類稀な才能のフランス人アーティスト
Louis Wieseが作り上げた
大変稀少な作品です
ヴィエーズの作品にはブローチや
ネックレスは見られる中
リングはとても稀少なんです
そんな大変稀少なWieseの作品で
シグネットリングは、今までで二つだけ
しか見たことがありません!
その一つがこの「レダと白鳥」
もう一つは、私が所持しています♡
そんな貴重なシグネットを
二つも独占するのは忍びないので
今回お譲りすることを決めました
気に入られたラッキーな方に
この素晴らしい作品を所持し
彼の類稀な才能が生み出した表現力を
ご堪能頂きたいと思います

(すいませんっ片方を逆さに着けちゃってました 汗)
私物のリングと比較するとわかるように
シグネットを囲むフレームのデザインが
同じなのがよくわかりますね
ヴィエーズオリジナルのデザインの
センスの良さ♡
パリ・オペラ座の舞台を彷彿させます
シグネットのイニシャルはN・D
シャンクにはレダと白鳥が
彫られており
レダが片足を軽く曲げて
横たわり白鳥に愛おしそうに
片手を差し出す優美な愁いを
堪えた官能的な美しさが
表現されています
両側共に同じ構図に見えますが
白鳥のポーズとレダが片側で
抱えている物が異なります
一方は、植物を抱えており
もう一方は、絵画と同じように
布が肩にかかっています
彫刻全体に二人から漂う空気感さえも
感じられるような流れ
人間の体を描くのは
一番難しいと言われる中
これだけ美しく表現された
立体的なレダの体は
驚くほど魅力的です
白鳥が大きな翼を広げる姿は
神ゼウスの男らしさが
伝わってくるようです
フランスのフクロウの刻印と
WIESEの刻印が
入っています
サイズ直しをした跡があります
男性でも女性でも兼用で
お使い頂けるリングです
コーデのポイントは男性的な強さのアーミー風なカーキのコートと袖から覗かせた桜を意識したピンクのインナーをレダと白鳥の色気と合わせてみましたゴツめのゴールドリングとして
ファッションのアクセントにも
活躍できますし
お守りのような強さを感じるリングなので
活躍する場面は多くあるでしょう♪
バーバリーの伝統的なスタイルの
トレンチコートと合わせて
浮気調査に向かう探偵のフリ(笑)
浮気現場を発見できそう

◆重量 21.1g
◆サイズ 17号
◆18kゴールド
◆シグネット 縦 1,2cm 横 1,3cm
◆メーカー・素材刻印有り
◆Louis Wiese
◆フランス
◆private collection
下記は、Wieseについて詳しくは
下記をご覧くださいませ
創生期 ~偉大な父ジュール~
ジュール・ヴィエズは19世紀の誇るシルバー&ゴールドスミスとして
フランスのジュエリー史にその名を刻んでいる。
ジュールは1818年にベルリンで生まれ、
プロイセン王国の宮廷御用達のゴールドスミス
Johann Georg Hossaeur に16才で弟子入り。
その後パリに移住し、J.P.モレル(*ショーメの前身)
で名を挙げたのち1839年(21才)にフロマン=ムーリスの工房に移る。
ここでもジュールの才能は遺憾無く発揮され、
程なくして工房長の地位にまで登りつめる。
師のフロマン=ムーリスはジュールを重用し、
1844年にジュールが独立して工房を
構えたのちも彼を手放さず
工房は事実上フロマン=ムーリスの専属であった。
1849年のパリ産業博覧会でジュールは共同制作者として
師のフロマン=ムーリスと並んでメダルを獲得。
師弟の信頼関係はクリエーションとして結実し、
1855年のフロマン=ムーリスの死後も息子のエミールが
当主となる1859年まで両社の蜜月関係は続くこととなる。
一方、1855年のパリ万国博覧会では自らの名前を冠して
WIESE単独のスタンドとして出展。
見事に一等メダルを受賞し一気にその名を知らしめた。
同年代のフランスの作家M.Magneはこう記している。
『素晴らしいゴールドスミスでありジュエラー。
(初出展にして)
すでに名声を確立している。
ささやかな小品からすらも
彼の作品の重要性と大胆な実験性が
おのずと見て取れる。
それはアートと美に対する意識であり
奨励されるべきものだ』
1861年にイタリアのカンパーナ公爵の古代ジュエリーの
コレクションをナポレオン3世がルーブル美術館のために
購入するとパリのジュエラーの間でも
考古学スタイルのジュエリーが流行。
ジュールはローマのカステラーニを模範に
このテーマでも精力的に制作し
WIESEはフォントネイと並びフランスにおける
考古学スタイルジュエリーの第一人者となった
1862年のロンドン万国博覧会で再び金メダルに輝くと
WIESEの評価と名声は不動のものとなる。
円熟期~息子ルイによってもたらされた黄金時代~
”並外れて控えめながら類まれな才能に恵まれた芸術家”
アールヌーヴォーを代表するジュエラーの一人であり、
同時に19世紀フランスのジュエリー史の研究家でもある
アンリ・ヴェヴェールはWIESEの2代目ルイをこう賞賛している。
1880年にジュールが引退すると、
父のもとで研鑽を積んでいた息子のルイが
28才で工房を引き継いだ。
ルイのスタイルは基本的に父ジュールを継承するものだったが、
父のデザインを踏襲しつつも時代に合わせて
細かなアップデートを加えている。
フロマン=ムーリスの影響を色濃く残した
ネオルネサンススタイルの重厚な作風から、
ブランドの根幹は残しつつもより
デザイン性に重きを置いたウェアラブルなジュエリーへ。
父のカリスマ性を生かしつつ
更なる進化を推し進めたルイは
ブランド円熟期のリーダーとして理想的な才覚を備えていたと言える。
現在マーケットに出回っているWIESEのジュエリーは
ほとんどがこのルイの時代に製作されたものとなっている。
WIESEの作品は美術的に高い評価を受けており、
パリ装飾美術館や大英博物館にも作品が所蔵されている。
ゴシック建築に見られるトレフォイルの窓にガーゴイル
(同じくゴシック建築に見られる想像上の怪物)
をあしらったネオルネサンス(ルネサンスリバイバル)スタイルのデザインがWIESEらしい。
ここにもオークの葉があしらわれている。
WIESEスタイル
~古の美への憧憬をジュエリーに昇華したゴールドの彫刻家~
WIESEの作風は中世やルネサンスなどの
過去の芸術に対するオマージュを作品に昇華した、
いわゆる歴史主義(ヒストリシズム)に裏打ちされたものである。
ジュエリー制作のかたわら、
鏡やナイフ、ゴブレット(盃)などの装飾品や
ハードストーンによる立体彫刻も数多く手がけたWIESE
(*フランスのオータン市からは儀礼用の剣の制作の依頼を受けている。)
中世のゴシック建築の装飾モチーフやルネサンス美術から
インスピレーションを得た彫刻的な造形は
ジュエリー作品にもいかんなく発揮されている。
建築や彫刻作品から得た雄大なイメージを
ミニチュアサイズの立体造形に落とし込む確かな技術力。
本来大きなサイズで作られた彫刻のモチーフを
ジュエリーのサイズで違和感なく再現するには高い技術力と、
同時に核となる要素を余すことなく抽出するデッサン力が必要とされる。
大きなものをそのまま縮小しただけでは”そのものらしさ”は再現できない。
その離れわざを製作上の苦労を微塵も感じさせることなくするりと
自然にやってのけるのがWIESEの真骨頂。
ゴールドの彫刻家と呼ばれる所以でもある。
古の美への憧憬と、それを実現するための高い金工技術に
裏打ちされた比類なき造形力。
あるいはアーティストの器に宿った職人魂。
この両輪こそがWIESEのドライビングフォースと言えるのではないだろうか。
ご質問やお問い合わせはこちらまでお気軽にご連絡下さいませ。
yumiko@thirtythree.jewelry
Thirty Three Trading.B.V
代表 前川 有美子
尚、以前お求め下さいました顧客のお客様方には御礼により
10%引きになりますのでお気軽にお伝え下さいませ。
(一度お求め下さいました方は、こちらでも記録しておりますが
記録漏れがありましたら申し訳ございませんので
念の為に一言お伝え下さいますと幸いです)